目の前にある何かについて、漠然とあることないこと話を作り、最後は結局「がはは〜」と笑っておしまい。
・・・というのを最近続けている。
想像、空想って言えばきれいかもしれないけど、かわいいものからブラックまで色々あるからやっぱり妄想って感じ。
最近の状態、身体的にも精神的にも論理的な思考するには疲れすぎているのかしら。真面目に考えていたはずの事がとんでもない方向に暴走してみたり。自分で何がどうなってるのだか頭の中がもつれてしまって、何処までが真面目に考えているのかも分らなくなってきてしまった。
真面目・不真面目や喜びは、どちらかというと漠然としていて、それであるが故に何か邪魔が入るとそれらの状態は失われてしまう。
それに対して、怒り・憤りという感情はちゃんと区別されてると思う。
怒った事について「つい感情的になってしまって」と言ったりするけど、それは言葉的な表現であって、怒りは考えるまでも無いほどに論理的に物事を解釈した結果なのだと思う。
本能的に、自分にとって許せないものなのだろう。
怒りを根に持つという事はあっても、喜びを根に持つって(こんな表現ないからかな)ないと思うし。
「この人嫌い」と思ったとしても、どこかの時点で逆転するかもしれない。それは「嫌い」というのが漠然としたものであるからで、その感情に横槍が入ればひっくり返る事もあり得る。
けれど、怒りを感じた相手では、恐らく逆転という事は無いだろう。
恐らくその相手の存在は自分の存在(肉体的、精神的どちらにせよ)を脅かすものだろうから。まあ、現代で普通に暮らしていれば、自分自身の危機というようなものには余り遭遇しないのかもしれないけれど。
は〜っ。。。
かなり陰気なオーラを出してます。
まだまだ精神的引きこもりはつづきます。
まだまだ元気です。
・・・というのを最近続けている。
想像、空想って言えばきれいかもしれないけど、かわいいものからブラックまで色々あるからやっぱり妄想って感じ。
最近の状態、身体的にも精神的にも論理的な思考するには疲れすぎているのかしら。真面目に考えていたはずの事がとんでもない方向に暴走してみたり。自分で何がどうなってるのだか頭の中がもつれてしまって、何処までが真面目に考えているのかも分らなくなってきてしまった。
真面目・不真面目や喜びは、どちらかというと漠然としていて、それであるが故に何か邪魔が入るとそれらの状態は失われてしまう。
それに対して、怒り・憤りという感情はちゃんと区別されてると思う。
怒った事について「つい感情的になってしまって」と言ったりするけど、それは言葉的な表現であって、怒りは考えるまでも無いほどに論理的に物事を解釈した結果なのだと思う。
本能的に、自分にとって許せないものなのだろう。
怒りを根に持つという事はあっても、喜びを根に持つって(こんな表現ないからかな)ないと思うし。
「この人嫌い」と思ったとしても、どこかの時点で逆転するかもしれない。それは「嫌い」というのが漠然としたものであるからで、その感情に横槍が入ればひっくり返る事もあり得る。
けれど、怒りを感じた相手では、恐らく逆転という事は無いだろう。
恐らくその相手の存在は自分の存在(肉体的、精神的どちらにせよ)を脅かすものだろうから。まあ、現代で普通に暮らしていれば、自分自身の危機というようなものには余り遭遇しないのかもしれないけれど。
は〜っ。。。
かなり陰気なオーラを出してます。
まだまだ精神的引きこもりはつづきます。
まだまだ元気です。
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