禅定

2005年1月20日 心の中
禅定=心の安定

娘(6年生)の先生が学校で話してくださったらしい。
仏教系なものですから。
そのあとで座禅をし、感じたことを文章にしたらしい。
どのような内容だったのかわからないけど、他の子の書いているのを読む限りでは、「心を落ち着けて集中すると日ごろ聞こえない物音などが聞こえてくる、感じられる」というものだったようなのだが。

学級通信に載った娘の「感じたこと」

 何かのおかげでそうなっている。
 その何かというのがわかりにくいことと、
 自分と向き合うことで求めている何かがわかるということが
 わかったような気がする。

これを読んだとき、思わず「娘よ、お前もか」と思ってしまった。
きっと将来、娘は私と同じことで悩むことになるだろう。
それを分っていて見守るという事と、もし仮に私がその答えを得ていたとしても決してその事について意見を言わないという事は、親であり人間として先に生まれたものである私の使命だと思う。

深く考えるという習性を持った者は、たとえそれが終着点であったとしても答えを早く欲しいとは思わない。
答えが重要なのではなく、答えが出せない今が重要であると考えているから。

まだ娘は「わかったような気がする」と感じた途端に、「わかったような気がする何か」は無くなってしまっているという事に気づいていないのだろうな。

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