日記を読んでいたら、超語り口調になっているのを発見した。
宇野浩二が、小説は
「話すように書けばよろしい」
と言ったらしいが、それは読まれるものとしてはじめから存在するからであって、日記の類はそれとはちょっと違う気がする。
今私は欲求不満で、誰かを相手に何かを語り続けたいのではないかと思う。
恐らくは、相槌不要。
語る手段は言葉でなくていいと思うし、空気でも身体でも時間でも気配でもいいと思う。
それが、「在る」ということだと思う。
・・・。
「思う」が多すぎだと思う。
宇野浩二が、小説は
「話すように書けばよろしい」
と言ったらしいが、それは読まれるものとしてはじめから存在するからであって、日記の類はそれとはちょっと違う気がする。
今私は欲求不満で、誰かを相手に何かを語り続けたいのではないかと思う。
恐らくは、相槌不要。
語る手段は言葉でなくていいと思うし、空気でも身体でも時間でも気配でもいいと思う。
それが、「在る」ということだと思う。
・・・。
「思う」が多すぎだと思う。
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