ありがとう。わたしはとってもしあわせです。
やっぱり、同情ではなくて愛されてたんだと思う。
だって、いまもしあわせに思い出せるんだから。
ひとつだって上書きして消し去りたい記憶も場所も無いんだから。

めをとじると、
 すごく悩ましげにわたしを見る顔や
 手を繋いだ時の大きなあなたの手や
 改札の向こうから伸び上がってわたしを探してくれてる姿や
 少しの時間でもねむっちゃうこととか
 おいしそうに食べる姿や
 よわいといいつつビール飲む姿や
 控えめにわらう顔や
 わたしの目を覗き込む瞳や
 口癖のように大丈夫って言ってた声や
 愛してるって言い合ったことや
 ベッドがとってもぽかぽかだったことや
 背中をトントンしてもらったことや
 愛し合ったあともまた抱き寄せてもらったことや
それからもっといろいろいっぱいいっぱいおもいだします。

とっても気を使って大事に扱ってもらったなあって。
おでかけ中にお手洗いに行きたいって言った時、きれいなファッションビルのお手洗いまで連れて行ってくれたでしょ。
時間つぶしをしないといけなかったとき、大きな荷物を持ってても大丈夫なところを色々おしえてくれたでしょ。
夜の六本木で、あまりにインターナショナルで「恐い」って言ったら引き寄せて護ってくれたでしょ。
いつも、素敵だっていってくれたでしょ。
お仕事忙しいはずなのに、新幹線の駅までお迎えにきてくれたでしょ。
電車がゆれたときには、わたしがふらふらってならないように護ってくれたでしょ。
それぞれがわたしにとっては特別で、ありえない事で。

あなたに叶わなかったのはわたしのほうです。
ありがとう。
今でも大好きです。
でもあなたは、ここに留まるべき人ではないから。
わたしはいつまでもここで手を振ってるけど、
あなたは次の場所でしあわせになってくれたら、
わたしはしあわせになれる。
そいういうしあわせのありかたもあるとおもう。

もう、あれから一ヶ月になるから、
わたしの中の質的変換はかなり進んできていて、
ただ変わらないのは、やっぱり好きだなあ素敵な人だったなあと思うことで、
何日か前の日記には「同情されていたと思ったほうが楽」
・・・だなんて書いたけど、
それは全くのわたしの強がりで、やっぱり好きでいて欲しかったな。
願わくは今も、友達くらいのレベルで好きでいて欲しいな。欲張り?

なぜ、しあわせだなあって思うかって?
だって一生に一度会えるかどうかわからないような人に、出会ってしまったのだもの。
しあわせ以外のなにものでもないでしょう?
あとはね、それをわたしが無駄にしないようにするだけなの。

恋はね、
東京タワーの灯りみたいに突然消えるものだと思っていたの。
でも、ふたりでみた東京タワーは消えるはずの時間になっても消えなくて、でも朝起きたときに消えてたのよね。
そのとき、
 ああ、こういうふうにわたし達の恋は終わるに違いない、
って思った。

 
 
 あなたは癒される。
 苦痛の涯てにあなたは生きる。
 この一艘の車両が地下を駆けぬけ、八つめの河を越えるときに。
 だから、いま、世界を亡ぼすことばをいうわ。あなたに口づけしながら。
 シバ、あなたをもとめながら。
 
 もとめながら。
 
 愛してる。愛してる。愛してる。」

                    古川日出男『アビシニアン』
 
 
 
 
これは出せない手紙。いつまでも心の中に。
 
さて、と!!!

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