漂う

2006年5月12日 読書 コメント (3)
光 水 空 虹 海 森

今日もまた本の海、本の森の中へ。
フンデルト・ヴァッサーの作品集や、
モネの絵画や、
ガウディの建築や、
クレーの色や、
そういうものの中に。

伝えることは可能か?
言葉で可能か?
私の発する記号は、あまりにも言葉から遠すぎる。

色では可能か?
私の出す色は、あまりにも混沌としすぎる。

コメント

くり-むぱん
くり−むぱん
2006年5月12日10:57

れんげさん。おはよう(^▽^)♪、、、ちょっと遅い?(笑

私が凹んだ時に読み返す本の文章を書きますね。

<プラン>
どんな時代が来ても私達には夢を見る権利ががある。    
それは私達の能力の幸福な資源であって想像の泉は枯れる事はない。    
そして漠然と夢のままに終わらせる事な
文章にしたり 絵にすると分かりやすい具体的な案になる。
    
案が作られれば計画を立てられるし、それは実行するに値するものになる。
プラン plan=計画、案、策、手順、方法、企て、もくろみ、目的、意図、構図、構
想、図画、設計図
、地図。    
スポ−ツだって具体的な目標を持っていると訓練にも無駄が無い計画も立てられるし やり
がいもある。    
けれどゴ−ルのない訓練はいくら身体に良くてもただの苦痛でしかない。    
ゴ−ルは無理の無い見えるところに自分で立てた方がいい。    
プランは何度でも修正できる。プラン通りにいかない事も有る。    
問題が起きたら解決すればいい。課題は克服すればいい。    
現実の中にこそ希望や夢への手がかりがある。
プランを立てると自分考えが明確になる。    
大切にしたいことをいつまでも見失わないことだ。
    
私達の心は弱くうつろいやすいから、つい目先の事に惑わされる。    
けれど何をしたいのかは結局自分で決めなければならない。    
なにものにもとらわれない素直な心で...。
    
生活の夢は1人1人にそれぞれある。私とあなたは違うはずだ。    
けれど私のプランの立てかた 最初は漠然と あるいは断片的に    
今あるものを寄せ集めて組み立てて
手探りで始めるひとつの夢の描きかたはあなたと共有出来るかもしれない。
    
私達の大切な    
希望の箱はどんなプランで膨らむのだろうか。    
何から始まるのだろうか。

それは自分の部屋の    
目の前の手に負える「小さな生活 」 からであれば すぐにでも始められる。    
いかに自分らしく作り上げるかが重要だ。    
「 小さな生活 」をことごとく自分のものに出来たら    
どんな邸宅や巨大な都市のプランも出来るという事だ。    
全ては私達ひとりひとりの「 小さな生活 」 の延長なのだから....
 
___ 津田晴美
                                                  
      

れんげ
れんげ
2006年5月12日23:25

くりーむぱんさん
こんばんは。有難うございます。
そうですね。自分の立ち位置がぐらついているのかもしれません。
小さな生活が自分のものではないのに巨大な都市を作ろうとしているのかもしれません。
ほんとうにありがとう。
何度も読ませてもらいます。

くり-むぱん
くり−むぱん
2006年5月13日0:18

「小さな生活」て、、、本です。
エッセイですから読みやすいですよ( ^ ^ )
*

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