ああ。

2006年5月12日 心の中
いやだいやだ。

冷静になって昨日の日記を読んでああいやだいやだなんで私はいつもこうなんだろうと
卵焼きを焼きながらでもまああれが自分なんだからと昨日のそれを消す気にもならなくて
さらに気分をおとしこんでいくそれもまたじぶんなんだから
テレビのお天気は今日日中はお洗濯日和だなどというけれど昼間だけ夕方までに取り込むことなんて出来ないんですってば

ていねいにていねいにあなたのこころがきれいになりますようにわたしのこころがきれいになりますように祈りながらひとつひとつをおこなっていくことが物事を雑用におとしめないための心がけであることはわかっていてでも
だからさそれがなんなのさそうしたからって言って何がどうなるのさと心の中がが囁きかけてああもうどうでもいいやと
ああそんなにみんなで求めないで私はそんなにいろんなことはできませんってばだってたった一人も大事にすることが出来ないんだからとおおごえでさけんでしまいそうになる

「いつまでも」と「さいご」とは存在しない生きているかぎりいつまでもとさいごは今この瞬間だけの属性で人に付随する属性ではないそれは人は流転するからでこれらの言葉は未来を指すものではないから思った瞬間にそれらはそれらでなくなる
この二つで修飾された言葉はその瞬間にうそになる

そう考えているのにも拘らずいつまでもだれかを好きでいたいとか好きでいて欲しいとか思うのはそれだけでもう破綻しているとしか思えないのだけど
ああ寝起きにベッドで誰かに抱きついておはよう今日もあしたもあなたを愛してるずっとずっと愛してるとかささやいてだから今日もまた一日過ごしていけるみたいなそんな朝があればと思う曇り空の今日

「一つ一つ、音をさせないように、心をこめておいてごらんなさい。そこに座る人が幸せになるようにと、心をこめておいてごらんなさい」

皿をテーブルにおき、フォークを並べるという単純な作業は、確かに作業そのものにやりがいなければ、むくいもない。そういう時には、やりがいのあるものにしていないといけないのだということを、その日、その時、私は教えてもらった。そうすることによってのみ、その単純で機械的な仕事に費やされる生活時間に意味ができてくるのであった。世の中に、つまらない仕事いうのはない。雑用とよばれる職種もない。それは人間がつまらないものにしているのであり、人間が用を雑にしている時、生じるものなのだ。

つまらない人間しかいない世の中で、一生つまらない仕事をして生きたにすぎないと不平を言う人にむかって、人生は、気の毒なことをしました、というところか、むしろ、あなたこそ、そのつまらなく思えた人生に意味を与えることのできる唯一の人でした、ということだろう。一生の終わりに「あなたの人生にはどんな意味がありましたか」と問われて、答えることが出来る人、その人こそ真に、生きる責任を果たした人と言えるであろう。

                                    渡辺和子『美しい人に』

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