ああ、さくらさん。
有難うございます。

『必要なものは、きっと向こうからやってくるから。』

去っていくものは必要ではないものなんだ。
恐らく。
自分の世界を狭くしているわけではなく。
そういう風が吹いているんだ。

本当に必要なものは、きっと向こうからやってくる。

コメント

すいれん
やよ坊
2006年5月14日13:55

「ふたたびみどりになる日まで」ってタイトルが好き。新緑がまぶしいね。最近。ネコのように、ね。「百万回生きたねこ」のネコみたいに生きたい。
れんげちゃんの昨日の日記、うっとりと読みました。アーティスティックな営みをしたい。埋没したい。現実的なことに時々疲れるね。
元気だしてね。

れんげ
れんげ
2006年5月14日14:06

やよ坊さんこんにちは。
大丈夫ですか?日々つらそうなので心配していました。
おちゃらけてスルーできる状態でも無さそうだったので。

そう。百万回生きたねこみたいに生きたいです。
でも、百万回も求め続けられないとも思うのです。そんなに強くない。
一回でももうそれで死んでしまいそうです。

あまりに悲しいことがあって、だめになってしまいそうです。
暗くてごめんね。
本当は、それをばねにしてアーティスティックに生きればいいのかもしれないけど、支えを失った感じで、ちょっと無理そうです。

海晴さくら
海晴さくら
2006年5月14日15:06

私はすごくれんげさんの存在を愛しく感じます。
まだ知り合ったばかりなのに不思議ね。

時々、人間はとても残酷なことをするの。
ある人に対して、自分が残酷なことをしていると気づかずに。
それは自己愛のひとつのあらわれで、愚かしく思うから、逆に責め立てることもできない。
人間って悲しい生き物なんだよね。私はそう思うんだ。
神でも仏でもない、人間同士が“赦す”ということの難しさ。
これは私の一生の中にも澱のように残っていくでしょう。

れんげさんのこれからが希望に満ちていますように。
私は見守っていきたいよ。

れんげ
れんげ
2006年5月14日15:14

さくらさん、こんにちわ。
ありがとう。ありがとう。

そう。おそらく私も気付かずに残酷なことをしているのだと思います。もしかしたら、私の存在自体が残酷なのかもしれません。
そう思うと、ナメクジみたいにちいさくなってちいさくなって、邪魔しないように邪魔しないようにと思うのですが、それでも存在する事には変わりはなくて。

本当に、ありがとう。まだ知り合ったばかりなのに。

海晴さくら
海晴さくら
2006年5月14日23:01

そう。風が変わったんですよ。

去るものは追わないほうがいい時もあるし、大切な思い出としてしまっておくのも良いし。
かつては宝物と思っていたものと、どうしてもお別れしなければならない時もある。
その時は、もう一度慈しむように抱きしめて(自分の想いを)きちんとお別れしましょう。
そうしてちゃんとスペースが空いたなら、新しく必要なものが入れるのです。
古いものに未練があるうちは、なかなか新しいものはやってこないの。

すいれん
やよ坊
2006年5月14日23:54

なんだか、泣きたくなりました。風がねえ、そうか。。。
風に流れてしばらく溶けていたいような。
わたしにとってのここ、ネット暖簾という名前は改めてネット温泉という名にします。今日も裸でいいお湯につかれてよかった。。。

れんげ
れんげ
2006年5月15日7:23

風。

相互リンクの素敵な方に、つい最近、
「新しい優しい風が吹くことを、お祈りしています。」
と言う言葉を頂いたことがあって。
さくらさんの短歌サイトの言葉と繋がって、実体になりました。
新しい風、待たずに待とうと思って。

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