一番あいたいひと。
NYに住んでいる学生時代の彼。

彼のお母様のお葬式で立礼に立ってた彼に、
「こんなところでこんなふうに会いたくなかった」といった私に、
「うん」とだけ答えて、しばらくの間じっと私を見つめた眼を思い出す。
離れていても、理解しあってると言い切れる、ただ一人の人。
過去にも未来にも、彼以上の人は現れないだろうと思う。
そう思える人が居る、ということ自体、私は感謝をすべきなのだろうと思う。

ただ、会いたい。
会って話をしたい。
そう思うのは、今、私がかなり不安定だから、なのだと思う。
(11:00)

あまりにくだらない内容だったので、昼過ぎに書いた日記を削除。
(だってさ、愛ルケの単行本が平積みになってた、って話で。あまりにもくだらないから。苦笑)
(13:00)

ひと月ぶりに美容院へ行ってきた。
美容院へ行く意味がよくわからなくなっているけど、予約を入れているので。
そして、次回の予約も入れて帰ってきた。
何故行くのかよくわからないけど。

隣りのビルにあるスターバックスで新しいバナナ味のフラペチーノを飲んで、晩御飯の買い物をして。
帰り道、野菜いっぱいの豚汁をしようと思ったのに、豚肉を買うのを忘れていることに気付いて、急に涙が溢れてきて、しゃがみこんで泣いた。
ずっと考えていたけど、私はNYに住んでいる彼に会いたいわけじゃない。
きっと。
こころの中がすかすかになっていて、それを埋めたくて、大袈裟な言い方かもしれないけど、このままでは精神の死を迎えそうで、そうなるならなるでいいんだけど、このまま誰にも知られずに身体は生きてるけれどその他は死んでいる状態でいることを。
誰かに救って欲しいわけじゃない、「誰かによって」救われることなど無い事がわかったから。
そういう状態をどうにかしたいという思いが、絶対にありえない「いまNYの彼に会いたい」ということで表現したに過ぎなくて、実際にそうしたいわけではない。
こいびとと呼んでいた彼にいくら会いたくても、頭の中で幾度となく新幹線に飛び乗っていても、幾度となく東京駅や品川駅の風景を思い巡らしていても、実際そうしなかったのと同じように。
私は、本当にそうしたいなら、そんなこと言うまでもなく、新幹線にでも飛行機にでも乗びのるだろう。
飛び乗りそうになったとき。そうしていいかどうか、と私の中のだれかが囁く。
とるに足らないおまえのような者が、そんな勝手な行動をして、誰かの邪魔をしていいのか、と。
(19:00)

何日か前のひみつで、結婚のこととか色々書いたけど。
もちろん、愛していたから結婚したわけで、
今でも誰に問われても、「最高の夫ですから」といえるだろう。
ただ。
彼と私は別の人間だ。
そう思うだけ。
子供達。
愛していないはずが無い。

しかし。
それとこれとは違う。
私には、自分の中に空洞があって、それを埋めよう埋めようとしていて、叶わない。
例えば、結婚が破綻していて他の誰かを求める、というのならわかる。
でも、私はそうではない。
私は何かなのだ。
私の使命は、私自身ではない。
危なそうに聞こえるかもしれないけれど、言葉にしてみるとそんな感じ。
とにかく、私が求めているのは、私ではないということ。
(21:10)

コメント

すいれん
やよ坊
2006年5月21日23:26

なんと、あたしも昨日スタバでバナナなんとかフラペチーノを飲みました。モカじゃないやつ。
で、この日記の感覚、8割がたはわかります。自分の中の空洞を埋めたい、夫と私は別の人間、子どもはいとしい、、、それでも別の何かを求め続ける。。。
うんうん、そうですね。続きは長くなるから自分の日記に書きます。ひとことだけ。れんげさんの絵にある「うつくしいくつ」をはいて、いつかいっしょに歩こうよ!と思います。もう、妄想の世界ではだいぶいっしょにいるような気がしますが。
いろんな想念がわいてしかたないときは、交通事故とかにあわないように、気をつけてくださいねー。産みのくるしみなのかもー。次に行くための。。。おやすみ。

れんげ
れんげ
2006年5月22日0:38

そうですね、気をつけます。
こう言うときは、道路や線路や橋の下が呼んでたりするのです(苦笑)すごく近くに寄ってくるんですよ、ほんとに(笑)もう、慣れたし、どうってこと無いけど。
明日もバナナなんとかフラペチーノを飲もうと思っております。
私はモカのやつです。
「うつくしいくつ」はいて一緒に歩きましょうねぇ。ちなみに、あのくつのモデルはフェラガモのでね、実際には高くて履けないですが(笑)あ、高いのはヒールじゃなくてお値段が。
妄想といえば、しっかり、海の見える公園近くのホテルで、さくらさんと三人でお泊りしてる妄想を描いてしまってるんですけど。
わらっちゃいますが。

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