ぼーっと、めざましテレビを見ていたら、アンコールワットが。
高い尖塔はみんながそれとわかるほど有名だけれど、
回廊のレリーフ画、もう一度観たい。
まだまだ暗闇を抱えていた去年の春、
3日間寺院を回って、数え切れないほどの人々と神々が彫られた壁画を見て、ああなんて私はちっぽけなんだろうと思って、
これだけのものを創る情動は何処から湧き上ってくるのだろうと、
ただただ見上げたのを思い出す。
先生がこれ以上創れないというのを「絵が立ちのぼる」と表現されたが、この寺院には「魂が立ちのぼる」のを感じる。
ああ、まだまだ、どうしてこんなにちっぽけなのかな。
どうして、どうだっていいような、人や物事との関係に、
いつもいつもウジウジこだわってしまうのかな。
ばかみたいだ。
あの寺院でみた、オレンジの法衣をきた若い僧ほどにも、
私はなにもわかっちゃいない。
わかっちゃいないということを、いつもわかっていなければ。
誰のせいでもなく、誰のことでもなく、
ただ自分はどうしたいのか、何処に行くのかすらもわかっていないのを、
読み替えると「可能性がある」と言える?
それを可能性だと読み替えたとして、何かを切り捨てることは正なんだろうか。
高い尖塔はみんながそれとわかるほど有名だけれど、
回廊のレリーフ画、もう一度観たい。
まだまだ暗闇を抱えていた去年の春、
3日間寺院を回って、数え切れないほどの人々と神々が彫られた壁画を見て、ああなんて私はちっぽけなんだろうと思って、
これだけのものを創る情動は何処から湧き上ってくるのだろうと、
ただただ見上げたのを思い出す。
先生がこれ以上創れないというのを「絵が立ちのぼる」と表現されたが、この寺院には「魂が立ちのぼる」のを感じる。
ああ、まだまだ、どうしてこんなにちっぽけなのかな。
どうして、どうだっていいような、人や物事との関係に、
いつもいつもウジウジこだわってしまうのかな。
ばかみたいだ。
あの寺院でみた、オレンジの法衣をきた若い僧ほどにも、
私はなにもわかっちゃいない。
わかっちゃいないということを、いつもわかっていなければ。
誰のせいでもなく、誰のことでもなく、
ただ自分はどうしたいのか、何処に行くのかすらもわかっていないのを、
読み替えると「可能性がある」と言える?
それを可能性だと読み替えたとして、何かを切り捨てることは正なんだろうか。
コメント