ぐだぐだ書いていますが、最近の私の毎日は、憑き物が落ちたように平穏無事に過ぎていっています。

結局、何を望んでいようと願っていようと欲していようと、私の周りにはそんなものは落ちてきやしない身分相応な世界が広がっていること、私が欲しているほどにも周りは私を欲していないことを、ようやく理解したからです。
いまごろ。ええ、今ごろになってです。すみません。
何か幸せなことがあると、好きなものが見つかると、ずっとそれがあると思ってしまったり、世の中がすてきに見えてしまったりするのです。はずかしい話ですが。
それから、人としてうまれたからには、何かしら意味がある、意味あることを残す使命があると思ってしまうのです。
でも、そういうことはあり得ないのだということがわかってしまえば、そして自分が欲する事をやめてしまえば楽になるわけです。自分の足跡を残すことを欲する事も含めて。

ありえない事は、ありえない事に違いないので、追いかけることも求めることも励むこともありませんしね。そうすると、世界もあるがままにみえるのです。
宿命的諦観ではないですが、どうにでもなればいい、なるようにしかならない、できるようにしかならないと思い、分相応に生きていれば、誰の邪魔もせず慎ましやかに息をしていることができるのです。
期待など、しないほうがいいのです。何に対しても。

昔、友達が
「一升ますには一升しか入らない」
と言ったのを思い出しました。
表面張力の状態では、身動きが取れないのです。
動いたら最後、こぼれてしまうしかないのですから。

ごめんなさい。こぼしてしまいました。

疲れました。
なので、何も考えずに、感じずに、熱くならずに、過ごしています。
そうすると、何にも誰にも愛着を持たずにすみます。
人間らしくない、といわれるかもしれないけれど、それはとても楽なことです。
いつ、なんどき、どんなことがあっても、思いを残さずに去ることが出来るからです。
そしていま、しがみついてでも留まっていたいとは感じられません。
いつでもいい、そういう感じです。
早く何かが私の中身を抜き去ってくれれば。

そうやってまわりをみていると、世界がとてもきれいに見えます。
まるでマティスの金魚のように。
すきとおっていて。
きらきらしていて。

コメント

海晴さくら
海晴さくら
2006年5月30日5:33

おはよう。
マティスの金魚、いいよね。マティスの中で最高傑作!(と、勝手に思ってます)
私は生まれてきた意味は、とか、生きている意味は、なんてずっと考えてきた。
でも意味なんてなくて、ある日、死なないから生きているんだとわかった。
そうしたらまわりの世界を見る目が少し変わった。
別の意味で余裕みたいなものができたというのかな。
熱くならないとか、醒めてるとか言われる時もままありますが(^^;)

はかせ
2006年5月30日21:32

こんにちは、はかせです。
れんげさん、この日記と次の日の日記を読んで感じた感想を書きます。お気に障ったら本当に申し訳ありません。消してくださいね。

れんげさん、それは無理ですよ。自分に価値がないなんて、本当にお思いですか。そんな風には私には感じませんでした。
頭で気持ちを縛ることは難しいですよ。そうせずにはいられない状況なら仕方ないかもしれませんが、余計お辛い状況になるのではないでしょうか。

一休みすることはとても大事なことだと思いますが。
望んでいるものが来ないというのなら、それが本当に望んでいるものか少しずつでも見つめていって頂きたいと思います。不躾ですいませんが、そう思いました。

はかせ

れんげ
れんげ
2006年5月30日23:57

☆さくらさん
余裕がないのかもしれません。車のブレーキにも遊びが必要なように、考えすぎることはそれ自体にとっても良くないことなのかもしれません。

☆はかせさん
ありがとうございます。消すなんてとんでもない。しみいりました。望んでいるものが本当に望んでいるものか、それ以前に必要なものであるのかすらも考えていないのだな、と思いました。
有難うございます。

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