一面の雲。
今年の七夕も星を望むことはできそうもない。

「だけど、こう思いませんか」とあたしは食い下がる。「たとえそれを失っても、短いあいだこのうえなく幸せに暮らしたほうが、一生、可もなく不可もなく過ごすよりもいいって?」
ミスター・デタンブルはあたしをじっと見る。両手を顔からどけ、まじまじと見つめている。それから口を開く。「それについては何度も考えたんだ。あなたはそう信じているのかい?」
 あたしは子供時代のこと、ずっと待ち続け、不安になったこと、何週間も何ヶ月も会えなかったあとで、ヘンリーが草地を歩いてくるのを見たときの喜びについて思い返す。それから二年間彼に会えなかったときのこと、さらにニューベリー図書館の閲覧室に立っている彼を発見した時のことを思う。彼に触れられる喜び、彼がどこにいるかも、彼があたしを愛していることもわかっているすばらしさ。「ええ」あたしは答える。「信じてます」
                       オードリー・ニッフェネガー『きみがぼくを見つけた日』


「なんだか」の気持ちが落ち着かない今日この頃は、一人で夜道を帰ると、ついつい「なんだか」があふれ出てきて、あまりにはずかしくて下を向いて歩いていると、それが引力のままに自分から離れ落ちていくのがよく見える。
その零れ落ちた「なんだか」たちは、引力に逆らって私に戻ってくることはできない。
私が「なんだか」になるのは、「なんだか」が混沌としていて何でもあり何でもないからだと言うことはわかっていて、そのうえ「なんだか」は回避し得ないものとして私の前に立ちはだかっている。いつも。
私は何かを失って悲しいわけではなく、そこに残してきた私の心が、自分の場所を私に知らせているから悲しいのだと思った。
私はもう、引力に逆らってそこに戻ることはできなくて、でもそこしか知らないわたしの心はここまでやってくることは出来ないのだ。
だからせめて、私はあの場所のことを時々思い出して、そこにいる自分の心が寂しくないようにしてやる。君のことはわすれていないよ。と。
そうすることはもしかしたら、ここに居る私の心に寂しさを与えるのかもしれないけれど、喜びと悲しみはいっしょに現れるものなのだとしたら、それはきっと耐えがたいものじゃない。

私は明らかに後悔をしている。

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