今日も引き続き、 (ひみつついき)
2006年9月21日 読書
この本を読んでいます。
昨日は読みふけり過ぎて電車を降りそこね(というか、次の駅止まった時に我に返った)、韓国の待ち合わせ時間までの2時間があっという間に過ぎ。
でもまだ半分です。
楽しすぎ。
という事で引用を。
歴史の話は、卒業論文を思い出しました。ここで言われているところの「偶発的」なものの振り幅はどのくらいなのか、みたいな。この世の話とは思えないですね(笑)直前の過去を決定付けるものはその直前の過去であるという風に考えていくと、振幅可能性領域は段々狭くなるんじゃないか、って感じのものを書いた記憶があります。ほんと、妄想ですよね。
対談形式なので、とても平易ですので「秋だし、何読もう?」と思っている人がいたら、迷わずオススメすると思います。
昨日は読みふけり過ぎて電車を降りそこね(というか、次の駅止まった時に我に返った)、韓国の待ち合わせ時間までの2時間があっという間に過ぎ。
でもまだ半分です。
楽しすぎ。
という事で引用を。
「なぜ僕はここにいるんだ?」と問うてしまう人にとっての最上位アイデンティティになりうるものは、この社会の外にあるもっとも形而上学的で風化しないものです。つまり、いったい何が自分の生命そのものを、この世界に受け入れてくれているのかを、
社会システム理論では、歴史を、工学でいうところの「不可逆な状態遷移」として理解するわけです。
つまり、現在の社会状態は、未来に複数の可能性の選択肢(可能性領域)を開きますが、偶発的な環境要因・周辺要因の介在によってその一つが実現する。同じことで、現在の社会状態は、過去の社会状態が開いた可能性領域の中から、偶発的に選択されたものだ。そんな風にして、あらかじめ確定していない未来に向けて、直前の過去に存在したものに前提づけられつつ現在が偶発的に積み上がる、というプロセスがずうっと継続してきたものが、歴史だと考えられる。
歴史の話は、卒業論文を思い出しました。ここで言われているところの「偶発的」なものの振り幅はどのくらいなのか、みたいな。この世の話とは思えないですね(笑)直前の過去を決定付けるものはその直前の過去であるという風に考えていくと、振幅可能性領域は段々狭くなるんじゃないか、って感じのものを書いた記憶があります。ほんと、妄想ですよね。
対談形式なので、とても平易ですので「秋だし、何読もう?」と思っている人がいたら、迷わずオススメすると思います。
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