身辺整理をしている感覚がある。
毎日。どこでも。

会社ではコスト削減のために業務内容を軽く単純にする作業が進み、
私たちは今の規模に合った仕組みへ変えていくために、これまでの仕組みを捨てる作業を毎日行っている。

同じように。
もう何十年も生きないのならばそれ相応の持ち物でいいわけで、
それは人間関係についても同じことが言えると思う。
どんな人も一日の長さは同じで、
後の人生がたくさんあれば時間も持ち物も増えるが、
短ければどちらも少なくなると言うのは当たり前のことだろう。
当然、整理にかけることのできる時間も限られているわけで。
自分の時間で工面できなければ、整理されるように仕向けるのも方策の一つだろう。

昨年の10月から父は入院したまま過ごしている。
転院はあるかもしれないが、退院して自宅で生活をするということはもう無いのだと思う。
見舞いに来る人も親戚が1回ずつ来たくらいで客人もない。
それが悪いとかではない、それって、相応の姿だと思うのだ。
私も、ちゃんとしっかり意思が表現できるうちに、早く整理をし切ってそんな状態に落ち着きたい。


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